知的スポーツと化した全米スペリング・ビー・コンテスト


先週、毎年恒例の全米スペリング・ビー・コンテストの決勝戦が行われ、カリフォルニア州フレズノ出身のAnanya Vinayさん(12歳)が優勝して賞金4万ドル(約440万円)を獲得した。
この全米スペリング・ビー・コンテストは8ヶ月以上前から全米で地方予選が行われ、今年度は1,100万人以上の生徒が参加した。そして決勝戦の地である首都ワシントンDC近郊に、予選を勝ち抜いた291人が集結。参加資格は16歳未満の学生であること。米国内以外にも、カナダ、メキシコ、ジャマイカ、ニュージーランド、バハマ諸島の学生も参加が認められている。

毎年メディアで大きく取り上げられるこの大会は、日本でいうと「全国高等学校クイズ選手権」に近いかもしれないが、スペリング・ビーの参加者の年齢は中学生以下だ。それを考えると、スペリング・ビー・コンテストと比較できるような、日本全国の小・中学生を対象にした学術大会を簡単には思いつかない。

Ananya Vinayさんの優勝を報じるオフィシャル・ツイート記事:

優勝したAnanya Vinayさんと、彼女と決勝戦で対決したRohan Rajeev君は共にインド系だ。地方大会を勝ち進んだ291人の顔ぶれを見てもインド系が多い。そして決勝戦でファイナリストに残った最終40人を見ると、その半分以上がインド系だ。BBCニュースでも、「スペリング・ビーの優勝者はインド系が常連」と報道している。

そして驚くことに、少なくとも2010年以降、毎年スペリング・ビーの優勝者はインド系なのだ。

全米の人口に占めるインド系の割合は、2015年時点で約400万人で、総人口の1.25%にしか過ぎない。それなのに、スペリング・ビーのファイナリストの50%以上をインド系が占め、2010年以降、優勝者がインド系に独占されているのにはどういった理由があるのだろうか?

この疑問を抱いたのは一人ではないようで、ペンシルバニア大学とカリフォルニア大学サンタクルーズ校のインド系の教授2人、そしてノースウェスタン大学のインド系の研究者がそれぞれ見解を発表している。それをまとめると、

  • 米国に移民できるインド人はそもそも高等教育を受けた知識層(90%近くが工学系の学位を取得)。そのため子供に対しても教育熱心である
  • 移民1世や2世はアメリカ社会の中で成功し認められることに特に情熱を燃やす
  • そもそもインド人は「知的スポーツ」が好きである(一方、スポーツや音楽などの芸術分野で活躍するインド系アメリカ人は非常に少ない)
  • インド系アメリカ人のコミュニティーの間でスペリング・ビーに参加することをサポートする体制ができている(先輩が後輩を教えたり、自分が使った教材を後輩に与えることが伝統となっている)

しかし、これら研究者が指摘していない要素がまだあると思う。それは、毎年優勝者がインド系によって占められ、それがスペリング・ビーの「伝統」になりつつある中、非インド系のアメリカ人学生とその家族の間で熱が下がってきているのではないかということだ。ここまで毎年インド系学生に独占されると、「どうせ優勝はインド系でしょ」と諦観してしまう学生がいても不思議ではない。それが一層、インド系の学生が優勝してしまう素地を生んでしまっている可能性がある。

しかも、スペリング・ビーに出題される単語が問題だ。例えば、今年優勝を決定づけた単語は"marocain"だ。これは元々フランス語で「モロッコの」という形容詞であり、日本語の辞書には「服地用ちりめん」とある。

そして昨年の決勝戦で残った二人が最後に答えた単語が"feldenkrais"と"gesellschaft"。feldenkraisとは、ロシア生まれのモーシェ・フェルデンクライス博士が開発した精神と肉体を整えるための施術メソッドのことだそう。feldenkraisはロシア人の名前だ。そしてgesellschaftは元々ドイツ語で、ドイツの社会学者テンニエスが設定した社会類型の一種だ。

つまり、元々、英語ではない外国語の単語とそのスペルが出題されるのだ。参加者のレベルが高くなり過ぎて、優勝者を決めるためには誰もが知っている英単語ではなく、外国語が語源の聞きなれない単語を出題するしかない状況になっている。

おそらく、スペリング・ビー・コンテストが開始された当初は、子供たちの語彙力アップとスペル・ミスを減らす教育目的で始められたのだろう。それが今では超マニアックな外国語スペル・コンテストになってしまっている。もはや英語の実用的な知識を問うコンテストではなくなっている。まさにスペリング・ビーは「知的スポーツ」と化している。

パソコンや携帯電話の普及で、日本でも漢字を書けなくなる人が増えているように、アメリカでもスペルが正しく書けなくなったという声をよく聞く。自動スペル確認機能のおかげで、スペルを細かく覚えなくてもよい世の中になっているからだ。スペルを覚えるということは語彙力のアップにはつながるが、マニアックな単語を覚えるくらいならコンピュータ・プログラミング言語を覚えたり、外国語を習得したり、はたまたスポーツや芸術に時間を費やす学生が増えそうに思うが、今後はどうなっていくのだろうか。

* * *

最後に、スペリング・ビーの学生向けに『間違いやすい英単語100』という記事を見かけた。ここで挙げられている単語はどれもよく使われているレベルで日本の英語学習者にとっても一読の価値がある。この中で気になったのが"judgment"のスペル。

先週の投稿「日本で教える英語はアメリカ英語かイギリス英語か? 」で、judgmentはアメリカ式、そしてイギリス式は「E」が真ん中に入ったjudgementだと紹介した。この『間違いやすい英単語100』の記事によると、イギリスでjudgementと「E」を含んでつづる場合は、法律以外の文脈の場合だそう。逆に、法律の文脈で使う場合は、イギリスでもアメリカ式と同じjudgmentと真ん中の「E」を取る方が好ましいそうだ。そしてアメリカ英語では、judgementと「E」含むスペルはどのような文脈であれ間違いという認識だそうだ。

これで納得したのが、スペリング・ビーの参加国に英国が含まれていないことだ。イギリス人が参加すると、アメリカでは間違ったスペルも「正しい」場合があり混乱が生じるからだろう。しかしイギリス英語に近いニュージーランドの学生が参加を認められているのは何故なのかという疑問がわく。ニュージーランドではjudgementとjudgment、どちらが正式なのだろうか?







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