ニューヨークタイムズのコラムニストが使ってみせた超難解な単語"Solipsistic" 「唯我論」

アメリカは、国の成り立ちから「大きな政府」を嫌う国民性。そもそも、イギリス政府による重税を嫌気して「ボストン茶会事件」が起き、それがアメリカの独立戦争にまで発展した。その歴史が脈々と受け継がれていて、今でもアメリカには国立大学はなく、有名大学として上位にランク付けされるのはアイビーリーグのハーバード大学やスタンフォード大学などの私立大学がほとんどだ。「公立大学」としてあるのはカリフォルニア大学やミシガン大学などの州立大学やコミュニティカレッジなどの市立大学。国民一般の間でも、エリート大学は上位の私立大学で、それに比べて(州立などの)公立大学は格が下がるというイメージがある。(Screenshot from PBS News)

そしてテレビ局も、アメリカには日本やイギリスのような国営放送はないが、PBSと呼ばれる公共放送がある。日本のNHKに相当すると言われることもあるが、正確には非公開NPO法人で、運営はもっぱら寄付金によって成り立っている。ドラマやバラエティは放送せず、主力はニュース報道や教育番組。

そんなPBSの夜の看板ニュース番組がNewsHourと呼ばれる番組で、毎週金曜日は、ニューヨークタイムズで政治担当の有名コラムニスト、デービッド・ブルックス(David Brooks)と、政治コラムニスト兼コメンテーターのマーク・シールズ(Mark Shields)がコンビで登場する。

先日金曜、いつも通り二人が登場し、盛り上がる大統領選について解説を行った。これがその時の番組。(日本国内からは視聴制限がかかっている可能性あり。)

PBSのオフィシャルYouTubeチャンネルより



PBSのオフィシャルサイトより

再来週、民主党から立候補している大統領候補者20人が、10人ずつ2組に分かれて2時間ずつの討論会を行う。今回は20人もの大人数の候補者が乱立する展開で、10人ずつ2晩に分かれて討論会を行うという異例の状況。

毎年、このテレビ討論会を通して候補者の絞り込みを行っていく。そのため、同じ民主党から出馬している候補者たちが、互いに論戦を挑み、歯に衣着せぬ「泥仕合」になるのが通例。しかし今回は2晩に分かれて行うため、第一回目のテレビ討論会では、直接、激論を交わすことができない候補者たちがいることになる。

このことに関して、ニューヨークタイムズのコラムニスト、デービッド・ブルックスが次のようにコメントしている:

"so it'll be a little more parallel play, I think, with the candidates not trying to react so much to each other, but just trying to shine their own solipsistic self."

これを訳すと、「(再来週の討論会では)候補者たちはそれほど互いに議論しようとはせず、少し並行した動きになると思う。むしろ、彼らは利己的に自身を輝かせようと(よく見せようと)するでしょう」となる。

彼が"solipsistic"という難解な言葉で意味したかったのは「利己的」という意味だが、辞書にある定義では「唯我論」という意味。"solipsistic"は形容詞で、名詞は"solipsism"。

英語の辞書には次のように説明されている:

: a theory holding that the self can know nothing but its own modifications and that the self is the only existent thing
also : extreme egocentrism
第一義は「唯我論」の説明で、「自身は自己の変容についてなんら知り得ることはなく、自身が唯一の存在であるとする理論」とありとても哲学的な内容だ。

そして二義的な意味として「極端なエゴセントリズム(自己中心主義)」とある。デービッド・ブルックスは、この二義的な意味で使い、再来週の討論会で立候補者たちは、「極端に自己中心的な感じでいかに自分が優れた候補者であるかを熱弁するのに終始するだろう」と言いたかったようだ。

しかし、もっと一般にわかりやすい言い方であれば、"trying to shine their own egocentric self"でも良いわけで、あえて難解なsolipsisticという単語を使うことは、自分の知識をひけらかしている感が否めない。

彼のコメントを受けて、もう一方のコメンテーターであるマーク・シールズは、"Wow, that's a PBS word!(なんとまあ、いかにもPBSで使われるような言葉!)"と非常に驚愕している。彼の驚きからも、いかにこの言葉が一般には使われず、一部インテリだけが知っている超難解な単語かということが想像できるだろう。

こういう古風で難解な単語は、サラッと使えばインテリ風に見えるので、失敗しなければ自分の知性を印象付けて話す内容に重みをつけることができる。しかし、一歩間違えれば、単に難しい言葉をひけらかしているだけで逆に印象を悪くするという諸刃の剣だ。

だが、難しい言葉を知っている人ほど、知識をひけらかしたくなるというもの。その衝動をいかに抑え辛抱できるかというのも真の「インテリ」には必要だろう。筆者は、むしろ平易な言葉で高度な内容を正確に伝えられることの方が、難しい言葉を操るよりも難しいし効果的だと信じている。ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、デービッド・ブルックスが、"solipsistic"という難解な言葉を使ったことは、それ自体が皮肉にも彼が"solipsistic"(利己的)であることを匂わせてしまっているのだ。

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